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1998.2
1996年の「飛鳥の世界一周の船旅 」が初めて発表されたのはその約2年前の94年4月のことであった。
そして94年7月よりいよいよ正式にその販売が開始されるのだが、いざ蓋を開けてみればわずか一ヶ月半たらずの間に全ての客室が完売し、しかも一周全区間乗船の乗客達で埋まってしまったのには飛鳥のオーナーでもある日本郵船自身も大変驚いたと言う。
某新聞紙面に掲載された『夢の旅が今夢でなくなる「飛鳥による世界一周の船旅 」』のたった一度の広告は客船ファンのみならずとも多くの方々に彼等が予想していた以上の衝撃をもたらしたのであった。
実を言うと世界一周クルーズは日本郵船が客船事業に乗り出した当初から考えられていたことであった。
「自社の客船で世界一周クルーズ」を、それは彼等だけにかかわらず客船事業に携わるものならだれもが抱いている夢である。
ただそれがいつのことであるのかが問題であった。
日本郵船は世界一周の前に年間のスケジュールに組み込まれている恒例の37日間前後オセアニアクルーズ(飛鳥の看板航路でもある )を通し、ロングクルーズに意外とフル乗船の方が多く、また以前より長期クルーズを楽しまれる方が確実に増えていることに手応えを感じていた。
そしてそのことが彼等に“いざ世界へ ”と言った決断に踏み切らせたのであった。 結果予想以上の順調な滑り出しで飛鳥は日本を旅立つことになる。
もともと客船飛鳥は、1989年に日本郵船が本格的に客船事業に乗り出した時、俗に彼等が「松・竹・梅・小梅 」と呼んでいる“マーケット”と“タイプ”がまったく異なる客船達のうちのひとつとしてデビューした。
「松 」と言うのは欧米のマーケットをターゲットにした“ラグジュアリータイプ ”のクリスタルクルーズのことである。
また「梅 」と言うのは“地球を縦に ”をキャッチフレーズにディストネーションに特に個性を持たせた冒険船タイプのフロンティア・スピリット(現ブレーメン)だ。
「小梅 」は“レストランヨット・タイプ”のレディ・クリスタルが、そして「竹」の飛鳥は初めて“日本人のために考え出された本格的レジャーを意識した客船”であった。
造船はクリスタル・ハーモニーを手掛けたあの長崎の三菱重工が行った。
設計・デザインには細部にわたりとても気が配われ、シティーホテル的要素を備えながらも日本的で、それでいてちょっと気取りのある客船として仕上げられた。
ところで飛鳥の世界一周が、いざ現実のものとなったことでハード面では造水器(通常より大量の飲料水等を作るため)の能力がアップされ、また各部屋の収納スペースは余裕を持たせるよう幾つかの工夫がなされた。
一方ソフト面においてはなにしろ長期クルーズであることから今まで以上に食事には気を配られた。
またカジュアル、インフォーマル、フォーマルと毎日の夕食に変化を持たせメリハリがつけられたのも世界一周クルーズならではのことであった。
前年度(1997年度の2度目の世界一周)の経験で言えばインドから本場のシェフを、日本からは蕎麦職人を招いてみたりとそんなユニークなプログラムが用意されたが、今後も乗客の方々が楽しんで頂けるものを多数用意していくつもりだと言う。
ところで飛鳥では日本食に特に気を配っているのでいつでも新鮮な物を召し上がれるように時には先に予定している寄港地へ日本より空輸にて食材を送られということもあるのだそうだ。
また知的好奇心の旺盛な方々が多数乗船しているのも世界一周クルーズの特徴でもある。そんなことを考え船旅が終わりを迎える頃には通常の船旅にはないある種の達成感のようなものを乗客の方々に抱いて頂けるよう水彩画、ダンス、俳句といった各種教室が用意された他、各専門分野に精通した著名な先生方によってやや堅いものから、リラックスして参加することのできる特別な教室が用意された。
世界一周のコースにはこれは日本郵船のこだわりで、スエズ、パナマ運河の世界 2大運河通過が入れられた。また地中海、カリブ海はクルーズのハイライトだ。
よく「客船は文化を運んでいる」とも言われている。
そう言う意味では飛鳥が理想とし、目指している客船として最も近い客船はドイツ人に大変親しまれ、5スター客船として成功をおさめている“オイローパ ”かもしれない。まだ客船としてはデビューして間のない飛鳥であるが、今までのクルーズを通し船内にも徐々に飛鳥の色が感じ取れるようになってきていると言う。
きっとひとつひとつのそんな経験が飛鳥を日本を代表するスバラシイ客船に育てているのであろう。
現在の段階では外国の客船のように飛鳥のことを一言で語ることは大変難しいかもしれない。
というのは飛鳥が年間を通じ行うクルーズには“パーティークルーズ ”や国内中心の“ショートクルーズ ”そして世界一周のような“ロング・クルーズ ”というように一隻でとても幅広いニーズにこたえているからだ。
将来日本の客船人口の裾野が広がった時、船籍の異なる第2船によって一方を海外中心のロング・クルーズ向けに他方を国内中心のショートクルーズといった構想もあるのだが・・・。
いずれにせよマスコミによって作られ一人歩きしている豪華さばかりが先行している飛鳥のイメージから抜け出し、より多くの方々に親しみを抱いて頂ける客船を目指し今後とも努力していくつもりだと言う。
インタービューは97年も終わろうとする頃であった。
98、99年のワールドクルーズも順調な売れ行きを示しほぼ完売状態であった。
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